不二の滝(Fuji no taki)

滋賀県近江八幡市長光寺町
 不二の滝は景行天皇(日本武尊のお父さん)が発見したと伝わる由緒出しい滝です。



撮影2025/6/5
 続百名城に選定されている八幡山城(157番)に行ってきました。
 麓の八幡神社に参拝した後、ロープウェーに乗って八幡山に向かいます。
 八幡山城は本能寺の変後、安土城に代わって近江の国城とするために築城されました。特に豊臣秀次が普請の指揮をとったことで知られています。
 その後、京極高次が入城しますが、秀次事件に伴い廃城となりました。
 現在は豊臣秀吉の姉の日秀尼開基の村雲門跡瑞龍寺が1966年に移築されています。
 山門はさすが門跡寺院、重厚な漆黒の門でした。
 勝手に自害した秀次によほど怒ったのか秀吉は秀次の一族郎党を皆殺しにしてしまいます。秀吉の姉の智は処刑された子や孫の菩提を弔うために出家し、日秀尼となり瑞龍寺を建立、代々皇女や公家の娘を貫首として迎えました。現在は秀次ゆかりの地である八幡山に移されています。
 八幡山最高点に到着しました。でも三角点はないようです。
 三等三角点「八幡」は北の丸址にありました。
 八幡山の山頂標識とともに、なぜか恋人の聖地のハートマークがあります。
 NPO法人地域活性化支援センターが町おこしの一環で全国から選んだ恋人の聖地の一つですが、この景色がロマンチックだったからでしょうか。でも秀次事件の悲惨さを考えるととても浮かれてはいられません。
 西の丸址からは琵琶湖も一望出来ました。
 続いて近くの不二の滝へ行くことにします。
 織田信長が六角氏をやぶった後、この地を守った柴田勝家が滝水を愛したとありました。
 景行天皇から柴田勝家まで随分と由緒正しいですが、なぜか滝名は明治時代に富士喜太郎という重病人の病気が滝水のおかげで治ったことに由来するとのギャップが凄い。
不二の滝(フジノタキ) 落差3m 時間1m 評価2/10
 石垣で組まれた段差に滝が流れていました。
 上へ向かうと不動明王像が安置されています。
奥の滝(オクノタキ) 落差5m 時間2m 評価2/10
 こちらにも滝行ができるよう樋が架けられた滝がありました。
 滝の映像
 最後は安土城へ行ってきました。
 安土城は織田信長が天下布武を天下に知らしめるために築城した6階建ての壮麗な天守閣を持つ城です。
 とにかく大手門から天守閣までの道幅が6メートルと広いことにびっくりしました。防御性は高くありません。守る城というより政治的意味合いが高いのかもしれません。
 大手門近くには前田利家や豊臣秀吉、徳川家康など重臣の家が集まっていました。
 徳川家康の住居跡には織田信長が建立した遠景山ハ見寺の本堂が立っています。
 黒門跡を過ぎて城の中枢部へと入っていきました。
 立派な石垣が続きます。
 お釈迦様の足跡を表現した仏足石がありました。安土城の築城に伴い石材として集められたもので、室町時代中期に造られたものと推定されています。
 本丸に着きました。天守台の石垣は残念ながら崩れています。
 入口の石垣はしっかりしていました。
 今は何もありませんが、ここに地上6階の天守閣が立っていたのが信じられません。
 帰りは遠景山ハ見寺から帰ることにしました。
 三重塔と仁王門は重要文化財に指定されています。
 仁王門の中には同じく重要文化財に指定されている金剛力士像が安置されていました。



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