妃流瀑(Kiryu baku)

岐阜県郡上市八幡町島谷
 妃流瀑は郡上八幡市の慈恩寺庭園内にかかる滝です。



撮影2025/6/18
 中津川方面から国道256号線で郡上八幡市に向かっていると突然山の中に浮かぶ城が見えました。郡上八幡城です。
 続百名城に選定されている郡上八幡城(141番)は大垣城を参考に1933年に木造4層の模擬天守として建設されました。
 郡上八幡城は遠藤氏によって1559年、吉田川対岸の赤谷山城を攻める為に築城されます。遠藤氏は本能寺の変後、豊臣秀吉によって追放されますが、関ヶ原の戦いの功により城主に復活し城の改修を行いました。
 江戸時代は郡上藩の藩庁となり明治維新を迎えます。
 撮影スポットが案内されているので、天守の撮影スポットで撮影してみました。
 模擬天守としては全国的にも珍しい木造で、本天守は現存する木造再建城としては日本最古となります。
 二つの大きな石がありました。赤髭作兵衛の力石と呼ばれるこの石は二つで350キロもあります。城改修の際、作兵衛は一人で河原から城内まで運びあげますが、普請奉行がその力量を褒めたたえたところ、感激のあまりその場で卒倒して息絶えてしまいました。その後、忘れ去られていましたが、模擬天守建設の際、ここに安置されたそうです。
 奥に立つ天守と手前の隅櫓の遠近感により迫力ある城が撮影できる写真スポットで写真を撮ってみました。
 こちらは郡上のまちなみが魚(手前が頭、奥が尾ヒレ)のように見える写真スポットです。
 本丸に入りました。
 確かに大垣城に似ています。
 山之内一豊とお千代の顔はめパネルがありました。実はお千代は郡上八幡城の創始者・遠藤盛数の娘という説が有力です。
 城を造っている時に上手くいかなくて人柱になった「およし」さんの話が書かれていました。
 自ら進んで人柱になったとありますが、ちょっと信じられません。無理やり埋められたのかも・・・。
 天守閣からは郡上八幡城築城のきっかけとなった赤谷山城が良く見えます。
 続いて郡上城下町にある慈恩禅寺へ行ってきました。

 駐車場に車を停めトンネルをくぐってお寺に向かいます。
 山門からは一直線にお寺の中まで見通せました。
 お寺の中庭には枯山水があり、そこから山門まで見通すことが出来ます。
 鶴亀庭園でお寺の方にお伺いしたところ左が鶴島、右が亀島でした。
 慈恩禅寺は1606年、郡上八幡城主の遠藤慶隆開基、半山紹碩によって開かれた臨済宗妙心寺派の寺院です。
 日本庭園の荎草園(てっ草園)も江戸時代初期に作庭されました。
 右側の石は蓬莱山を表現した不老岩で穴の開いた提灯石が置かれています。
妃流瀑(キリュウバク) 落差10m 時間3m 評価3/10
 庭園の真ん中には大きな滝が龍が寝そべった形をした臥龍池へ注いでいました。
 お寺の方に確認したところ、右側の小さな滝が本来の妃流瀑で、真ん中の大きな滝は後から付け加えられた滝だそうです。
 いずれの滝も上流の乙姫滝に源を発しているとのことなので、後で訪問することにしました。
 1893年、豪雨による土砂崩れにより壊滅的な打撃を受け、庭園規模も小さくなったようです。国道256号線バイパスを造った際にはこの庭園を潰さないようにわざわざトンネルを迂回させました。名庭園が残って良かったです。
 滝の映像
 乙姫滝への林道は狭いので歩いていくことにしました。お寺に入る為に右へ曲がったところで国道を渡ります。
 林道を歩いていると乙姫滝と乙姫水神の説明板がありました。滝までは400メートルとのことです。
 川沿いに続く林道をトホトボと歩きました。
 そろそろ林道歩きに飽きた頃、前方に大きな堰堤が現れます。
 堰堤を越えると林道終点になり踏み跡を歩きました。
 橋の向こうに小さな祠が見えます。
 石の祠に収められているのが説明板にあった乙姫水神大神でしょう。
 滝は水神様の下にかかるのですがはっきりした道はありません。
乙姫滝(オトヒメタキ) 落差5m 時間20m 評価5/10
 何とか滝つぼに降りましたが、物凄い水量でレンズがすぐに雲ってしまいます。
 乙姫滝の名前に似つかわしくない豪快な滝でした。
 滝の映像



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