北畠氏館跡庭園滝石組(Kitabatakeshiyakataatoteien takiiwagumi)

三重県津市美杉町上多気
 北畠氏館跡は伊勢国司から戦国大名になった北畠氏の本拠地だったところで、続百名城(153番)に選定されています。



撮影2025/5/25
 駐車場に車を停め北畠神社の鳥居をくぐります。
 左へ行くと霧山城、右へ行くと北畠神社ですが、雨が降っていたので山登りはやめて神社だけ行くことにしました。
 北畠氏館は建武新政時に南朝から伊勢国司に任じられた北畠氏が築いた城で、北畠神社は初代伊勢国司に任じられた北畠顕能を主祭神とします。
 北畠神社に配祀されている北畠顕家は顕能の兄で建武新政時に南朝武将として活躍しますが、わずか20歳で戦死しました。
 尚、顕家、顕能の父である北畠親房は神皇正統記を著したことで有名です。
 戦国時代まで北畠氏は伊勢国司として続きますが、最後は織田信長によって滅ぼされました。
 北畠神社の境内には室町幕府管領の細川高国作庭と伝わる庭園があります。一時は天下人となった高国ですが、この庭園を造った翌年、戦死しました。
 辞世の句として「絵にうつし 石を作りし 海山を のちの世までも 目かれずや見ん」を北畠氏当主に送っています。
 庭園内に入るといかにも縁起が良さそうな亀が迎えてくれました。
 橋から右側を見ると池泉の向こうにいくつもの立石が見えます。
 尖った石の廻りをいくつも石が巡っていました。尖った石は須弥山石で周りの石は九つの山と八つの海を表現しています。すなわち、仏が住する清らかな世界、極楽浄土を表現した浄土式庭園でした。
 橋を渡って進むとこちらにも石組があります。
 最も高い築山から庭園を見下ろしました。緑一色で深山幽谷の趣があります。
 さらに進むとここにも亀がいました。
北畠氏館跡庭園滝石組(キタバタケシヤカタアトテイエンタキイワグミ) 落差1m 時間3m 評価1/10
 亀島近くの橋から上流を見ると滝石組も見えます。
 滝の映像



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