旧久留島氏庭園枯滝石組(Kyukurushimashiteien karetakiiwagumi)


大分県玖珠郡玖珠町大字森
 旧久留島氏庭園は江戸初期、森藩主の久留島氏が屋敷跡に造った庭園です。



撮影2025/10/17
 庭園に行くと童話碑と彫られた大きな石が立っていました。元々は庭園の池畔にあった船着石でしたが、童話の里玖珠町のシンボルとして庭園の前に立てられたそうです。庭園愛好者からは折角の庭園が台無しだと批判が出そうですね。
 実は語り聞かせ(口演童話)を行い、児童文化の発展に尽力した久留島武彦氏は久留島家の末裔であり、庭園と童話文化の両方に深く関わっているため、碑の設置は町民にとって自然な文化継承と受け止められたのでしょうね。
 説明には庭洞石ととありましたが、どういう意味でしょうか。
 船形石は見た目で分かります。
 橋の先には亀島が見えました。
 鶴島は対岸にあります。
 この石は神社の礼拝石で別名「喜藤次泣かせの石」と呼ばれました。森の奥から運ぼうとしたところ、あまりの重さに泣きを入れたという逸話が残ります。
旧久留島氏庭園枯滝石組(キュウクルシマシテイエンカレタキイワグミ) 落差5m 時間5分 評価2
 中央の石が不動石、その左から三段落としに滝石組が組まれていました。落差も滝石組としてはかなりあり、迫力に圧倒されます。
 滝の映像
 続いて続百名城に選定されている角牟礼城(ツノムレジョウ 192番)へ行ってきました。
 角牟礼城は、13世紀後半、玖珠郡衆の森朝通により角埋山に築かれたのが最初です。
 1586年の島津義弘による侵攻の折には、玖珠郡衆が籠城し落城しなかったことから難攻不落の城として名を高めました。
 1601年に来島長親が入封し1万4千石の森藩が立藩されますが、豊後国には既に府内城がある為、一国一城礼により、角牟礼城は廃城とされ、山麓に陣屋が置かれます。以後、明治維新まで小藩ながら存続しました。
 400年以上前に廃城になった城ですが、近世山城の特徴である穴太積み(アノウヅミ)とも呼ばれる野面積みの石垣が残っています。
 特に搦手門付近の石垣が残っていました。
 大手道を登って行きます。
 15分で本丸跡に着きました。
 本丸の北側に櫓が組まれていたようです。



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