三段の滝 (Sandan no taki)

愛媛県松山市恩地町
 三段の滝は松山市郊外の林道沿いにかかります。



撮影2025/9/29〜30
 百名城に選定されている松山城(81番)へ行ってきました。
 松山城は1602年、関ヶ原の戦いでの戦功により加藤嘉明が藩主となり松山城の築城に着手します。ところが完成直前の1627年、会津藩へ転封となり、代わった蒲生忠知の代に25年かけて完成しました。
 1635年に松平氏が城主となりますが、1784年に天守を初めとする本壇の建物が落雷により焼失してしまいます。幕末真近の1854年、12代藩主勝善が天守など本壇の建物を再建しました。
 反りのある石垣は見事ですね。
 太鼓門をくぐって本丸へ入ります。
 本丸ではゆるキャラのよしあき君が迎えてくれました。よしあき君はもちろん初代藩主の加藤嘉明ですが、さすがに安直ですね。
 層塔型の連立式天守で天守と小天守、南隅櫓、北隅櫓で四角形を作り、真ん中には中庭があります。
 天守は戦いの設備なので床は板張りで天井板もないのが普通だと思っていました。ところが、松山城は各階に天井板があり、畳の敷ける構造になっています。床の間や襖を入れる敷居まであり、ここで何をしようとしたんでしょう。もしかして籠城・・・。
 天守からは人口50万人、四国随一の大都会の松山市街、さらには瀬戸内海も見えます。
 続いて百名城に選定されている湯築城(80番)へ行ってきました。
 湯築城は1335年、河野氏によって築かれ、伊予国の守護として重要な役割を果たします。
 秀吉の四国統一後、福島正則が城主になりますが、国分山城に居城を移したため、廃城となり歴史の表舞台から消えました。
 中世の城ですので、石垣も天守もありません。ただ、土塁や堀などが良好な状態で残っています。
 また、中世の城郭遺産として当時の生活様子を再現した武家屋敷等も整備されていました。
 こちらの堀はまるで日本庭園のようです。
 岩崎神社から城へと登りました。
 人間を食べて大暴れした大蛇が暴れないようにと祀った神社だそうです。
 山頂に着くと驚きました。城には似つかわしくない展望台があるではないですか。
 これを見ているとどうして湯築城が百名城に選ばれたのか分からなくなりました。
 でも、夕日に浮かぶ松山城を見ているとそんな疑問はどうでもいいですね。
 翌日、松山市近郊の三段の滝へ行きました。
三段の滝(サンダンノタキ) 落差7m 時間0分 評価5/10
 道路から滝が見えました。こちらは最上段の滝です。
 最上段から下を見ると確かに下段の滝が二段見えました。
 木の枝を掴んで何とか最下段の滝つぼに降り、三段の滝を見上げると、思ったよりいい滝ですね。
 滝の映像



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