撮影2025/6/1 |
|
百名城に選定されている篠山城(57番)へ行ってきました。 |
篠山城は1609年に徳川家康の命により丹波篠山盆地に築城されています。この時代はまだ豊臣家も健在であり、山陰道の要衝を抑える必要があったのでしょう。
城主は、松井松平家一代、藤井松平家二代、形原松平家五代、青山家六代の歴代篠山藩主を経て明治維新を迎えています。 |
三の丸西駐車場に車を停めて埋門跡から本丸に登ると2000年に復元された大書院が見えました。 |
青山神社は明治時代の1882年に青山家の旧恩を追慕する人々によって建立された神社で徳川家光の代に老中を務め岩槻城主だった青山忠俊(昭和になって篠山藩主の忠裕も合祀)が祭られています。 |
天守台はありますが、天守閣は造られず隅櫓が築かれました。 |
大書院は明治維新後も取り壊されずに小学校等に使用されていましたが、1944年に失火により焼失しています。何と消防訓練中の失火というから笑えます。 |
2000年に復元され大広間など見学出来ます。 |
上段の間は君主の威厳を示すものとして折上(おりあげ)天井が採用され障壁画も松が描かれていました。 |
帰りは表門から帰ります。 |
続いて続百名城に選定されている黒井城(163番)へ行きました。
建武新政時に赤松貞範が築城、戦国時代に赤井氏の居城となりますが、1579年に明智光秀に攻められ落城します。その後、斎藤利三が城主となり改修し、関ヶ原の戦いの後、廃城となりました。 |
丹波市春日町黒井地域にそびえる標高356メートルの城山に位置します。 |
(13時15分)
駐車場に車を停めて、別名、保月城と呼ばれる黒井城を出発します。登山道はゆるやかコースと急坂コースがありますが、迷わずゆるやかコースを行きました。 |
獣柵を開けましたが、クマが出るのは嫌ですね。 |
(13時45分)
30分で赤門に到着しました。5分ほど休憩し出発します。 |
本丸まであと少し。 |
東曲輪に到着しました。石垣は良く残っています。 |
三の丸は山の上とは思えないほど平らで広々としていました。 |
階段を登れば本丸です。 |
本丸も広々としていました。 |
(14時00分)
45分で山頂に到着です。山頂標識も黒井城ではなく江戸時代に呼ばれていた保月城になっていました。 |
三角点は三等三角点「城山」です。 |
(14時20分)
山頂からは黒井の街並みが一望出来ました。山頂には20分ほど滞在し下山しますが、山頂にいたガイドの方が急坂コースは転倒リスクがあるからゆるやかコースで行った方がいいよとのアドバイスに従い帰りもゆるやかコースで帰ることにします。 |
(14時50分)
帰りは30分で帰ることが出来ました。 |
続いて本州で最も低い中央分水嶺に行くことにします。 |
何と最も低いところは標高95メートルしかありません。 |
右へ流れると加古川を通って瀬戸内海、左へ流れると由良川を通って日本海へ注ぎます。 |