落ヶ滝(Ochi ga taki)


石川県七尾市古府町地図
 落ヶ滝は百名城に選定されている七尾城(34番)の谷にかかる。



撮影2025/12/19
 能登国の名城・七尾城は、能登畠山氏初代当主・畠山満慶(ハタケヤマミツノリ)によって、1428〜1429年に築かれたという。
 のちに上杉謙信の攻撃を受け、1577年、ついに落城する。しかし1年にわたり籠城戦を耐え抜いたその気骨は、今も山の空気に残っているように思える。
 山上に築かれた堅城は、この攻防の折、謙信が陣中で詠んだと伝わる漢詩「九月十三夜陣中作」はあまりにも有名で、七尾城の名を世に広めた。

※九月十三夜陣中作
 霜満軍営秋気清
 数行過雁月三更
 越山併得能州景
 遮莫家郷憶遠征
 秋の陣営に満ちる霜気、夜更けの月を横切る雁の列――のちに「荒城の月」2番の詞にも影響を与えたとされる情景が、山上の風とともに思い浮かぶ。

※荒城の月2番歌詞
 秋陣営の 霜の色
 鳴きゆく雁の 数見せて
 植うる剣に 照り沿いし
 昔の光 今いずこ
 本丸に向かうと、野面積みの石垣が三段に分かれて残っていた。高石垣を築く技術がまだ十分でなかった時代の名残だろうか。
 本丸には石碑が静かに佇んでいた。
 その背後の高台には、1942年の「第1回城山祭り」に合わせて建立された城山神社が鎮座していた。
 本丸からは能登島の向こうに能登半島が霞み、往時の城兵たちも同じ景色を眺めていたのだろうかと想像が広がる。
 続いて二の丸へ向かう。
 三の丸との間に深い堀切が口を開けていた。敵の侵入を阻むための工夫が、今も地形に刻まれている。
 二の丸、三の丸はいずれも広く、相当数の兵を置けたであろうことがうかがえる。
 安寧寺跡には畠山氏の墓碑や、七尾城攻防戦で命を落とした武士たちの慰霊碑が並び、山中にひっそりと歴史の重みを伝えていた。
 本丸への道が通行止めで、再び三の丸、二の丸を登り返すことになったのはもっと運動しろということだろう。
 七尾城の散策はおよそ1時間10分。
 せっかくなので城山展望台にも足を延ばす。
 北アルプスはすでに雪化粧をまとい、冬の気配を濃くしていた。
 続いて、七尾城の谷にかかる落ヶ滝を目指す。車を路肩地図に停めて歩き出す。
 最初の分岐で右に行くべきところを真っすぐ進んでしまった。
 あぜ道を辿るうちに道が突然途切れる。
 沢をじゃぶじゃぶと歩くと荒れた竹林が見えた。地図を見ると荒れた竹林が落ヶ滝がある谷のようだ。
 竹林の踏み跡を追うが、やがてそれも消え、沢をそのまま直登することにした。
 幸い難所はない。とにかく道なき道を歩くのみだ。
 やがて5メートルほどの小滝が現れた。右手に垂れるロープを頼りに登る。
 さらに進むと梯子のかかった場所があり、越える際に長靴の中へ大量の水が流れ込んだ。最初から沢登りシューズで来ればよかったと苦笑する。
 大きな木が倒れていたが構わず上を歩く。
 迷いそうな分岐はここだけだった。赤いリボンを頼りに左側に進んだ。
 地図では滝はもう近い。
 ほどなくして、落ヶ滝が姿を現した。
落ヶ滝(オチガタキ) 20m 時間55分 評価6/10
 高さ20メートルの垂直の岩壁が目の前にそびえ立つ。
 集水域が狭いためか水量は少ないが、それでも谷に響く水音は心地よい。
 滝の映像
 滝の右側に窪みがあった。
 梯子を登って覗き込むと、不動尊が静かに祀られていた。1924年、干ばつに苦しんだ村人たちが感謝を忘れぬようにと安置したものだという。みずみずしい花が供えられているのを見て、こんな山奥まで参拝に訪れる人がいるのだと胸が温かくなった。
 帰りは林道に出た。
 脇には落ヶ滝の案内板が立ち、こちらが正式な入口らしい。
 林道を歩き、途中からあぜ道へ入り直すと、無事に車へ戻ることができた。



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