遠照寺亀島庭園滝石組(Onshojiteien takiiwagumi)

長野県伊那市高遠町山室
 遠照寺は821年、最澄によって開基されたと伝わる古刹です。



撮影2025/5/14
 百名城に選定されている高遠城(30番)へ行くことにします。
 高遠城は元は諏訪市の居城でしたが、武田領となり1562年に武田勝頼が諏訪氏を継承し諏訪勝頼として高遠城に入りました。家督相続に伴い、勝頼は甲府に戻ります。その後、織田氏の甲州攻めにより1582年に落城し織田領となりました。本能寺の変後、豊臣、徳川と領主が変わり、江戸時代は内藤氏の居城となり明治維新を迎えます。
 天守台は桜の名所になっており、城らしい面影はありません。
 今は桜の木々が広がるだけです。
 こちらの桜の木は元の木を囲むように新しい木が生えていました。樹勢が衰えた老木を若返りの方法によって蘇らせたものだそうです。
 こちらは「高遠之城 拠信山東陬」で始まる碑文ですが、良く分かりません。
 江戸時代に時を刻んでいた太鼓櫓です。江戸時代は平和ですね。
 こちらは3万の織田の大郡に迫られ降伏勧告を受ける中、これを退けて3千の兵で壮絶な最後を遂げた武田信玄の5男仁科五郎盛信の霊を祀る新城(盛信)神社・藤原神社です。
 高遠城を後にし遠照寺へと向かいました。
 鶴亀合掌の庭は後から行くことにします。
 国重要文化財の釈迦堂にお参り後、七面堂まで坂や石段を登って行きました。
 釈迦堂から10分もかかって到着です。
 鶴亀合掌の庭は本堂の横にありました。江戸時代初期作庭と推定され、手前の亀島は蓬莱山を表現します。
 1990年には京都南禅寺金地院の小堀遠州作鶴亀庭園を参考に、新たに鶴石組みや中央奥の三尊石を中心に玉礀流の滝石組を置く枯山水式庭園に改修されました。
 二つの羽石と中央の細長い石で鶴を表現しています。
遠照寺亀島庭園滝石組(オンショウジカメシマテイエンタキイワグミ) 落差2m 評価1
 奥の三尊石を滝と見立て手前に橋を置く玉礀流の滝石組が見事でした。
 滝の映像
 遠照寺から少し北上したところに中央構造線が露出した場所があります。
 説明板と見比べましたが、どこが境界か良く分かりませんでした。



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