大内氏館跡の滝 (Ouchishiyakataato no taki)

山口県山口市
 大内氏館跡には日本庭園や枯山水などの遺跡が残ります。



撮影2025/10/3
 続百名城に選定されている大内氏館・高嶺城(174番)へ行ってきました。
 まずは麓の現在は龍福寺となっている大内氏館跡へ行きます。
 大内氏24代当主、大内弘世が京都から山口へ移り住んだ時に築かれたのが大内氏館で、大内義長の時代には毛利氏との戦いに備え詰城として背後の山に高嶺城を築きました。
 ところが1551年、家臣の陶隆房の謀反により大内義隆は自害に追い込まれ、陶隆房は義隆の姉婿、大友義鑑の次男、義長を傀儡とする政権を樹立します。
 そして1556年、毛利元就が侵攻し義長は逃亡、大内氏の歴史は終わりました。
 毛利元就の息子、隆元が大内義隆の菩提を弔うために建立したのが龍福寺です。
龍福寺庭園滝石組 (リュウフクジテイエンタキイワグミ) 落差1m 時間3分 評価1
 水子地蔵尊の近くに水を落としている人工滝がありました。
 滝の映像
 龍福寺は明治時代に火災にあった為、興隆寺から1479年建立の本堂を移築します。1954年に重要文化財に指定されました。
 興隆寺梵鐘を縮小復元した幸せの鐘です。
 大内氏が滅亡するまで使われた池泉庭園も復元されました。
 こちらは、1549年、毛利元就が大内義隆から日頃の好意援助を受けている御礼として大内氏館を訪れ謝意を表した場面です。
 西門は16世紀中頃の洛中洛外図屏風等を参考に再現されました。
 枯山水庭園があります。
枯山水庭園枯滝石組 (カレサンスイテイエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間5分 評価1
 大きな立石が見事な滝石組も復元されました。
 滝の映像
 続いて、詰城の高嶺城へ行きました。
 林道終点の駐車場に車を停めて歩いて行くと東屋があります。
 7分ほどで登り切りました。
 小雨が降る中、尾根道を進みます。
 主郭と石垣との分岐に到着しました。
 まずは右に進んで石垣を見に行きます。
 分岐に戻り進むと主郭の石垣が見えました。
 当時の技術では一度に高い石垣を組むことが出来ない為、二段に分けて築かれています。
 高嶺城の石碑は立派でした。
 山頂からは山口市内が一望出来ます。
 帰りは近くのたらちねの滝に寄りました。
たらちねの滝 (タラチネノタキ) 落差3m 時間0分 評価2
 大きな一枚岩の上を流れます。水量が少ないのか一筋の流れだけでした。
 滝の映像



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