武家屋敷庭園枯滝石組 (Shimabarabukeyashikiteien karetakiiwagumi)

長崎県島原市下の丁
 武家屋敷庭園枯滝石組は島原城武家屋敷の休憩所にある庭園です。



撮影2025/10/11
 百名城に選定されている島原城(91番)に行ってきました。夜はライトアップされてるんですね。綺麗でした。
 1616年に有馬氏に代わって大阪の陣での戦功により、松倉重政が日野江城に入城します。
 有馬氏の政治を一新し、幕命によるキリシタン取り締まりのため島原城の築城を開始し1624年に完成しました。
 天守は破風を持たない独立式層塔型5重5階の独特なデザインで、却って新鮮に見えます。
 明治に入り天守以下建造物は破却され、現在の天守は1964年に鉄筋コンクリート造りで外観復元されました。 
 天守からは1792年に山体崩壊した眉山(島原大変)、奥には平成新山も見えます。
 東側は有明海越しに阿蘇山も見えました。
 続いて武家屋敷へ行きます。
 休憩所に日本庭園がありました。
 島原工業高校の生徒が作成した水車ですが、ここに置く意図が良く分かりません。
武家屋敷庭園枯滝石組 (ブケヤシキアトテイエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間5分 評価1
 苔むした滝石組ですが、角のない石なので興ざめです。
 滝の映像
 続いて続百名城に選定されている原城(188番)に行ってきました。
 世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成遺産です。
 原城は有馬貴純によって1496年に築かれ、その後、16世紀末に有馬晴信によって織豊系城郭として生まれ変わり、本の丸、二の丸、三の丸、天草丸、出丸などが築かれました。
 1616年、有馬氏に代わり入った松倉重政は一国一城令の影響もあり、不便な日野江城と原城を廃城とし新たに島原城を築城します。
 そして1673年、、厳しい年貢取り立て(島原城建設による財政逼迫等)、過酷なキリシタン弾圧により農民が原城に籠る島原の乱が勃発しました。
 農民側は天草四郎を総大将として廃城となった原城に3.7万人で籠ります。
 3ヵ月に及ぶ籠城の末、最後は幕府軍により女・子供を含み皆殺し(1万人以上が投降したとの説もあります。)にされました。
 その後、原城は一揆の拠点にならないように徹底的に壊されています。




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