瀧谷寺庭園枯滝石組(Takidanjiteien karetakiiwagumi)

福井県坂井市三国町滝谷1丁目7
 瀧谷寺は1375年に創建された真言宗の寺院で、江戸時代中期に作庭され国指定名勝に指定されている池泉鑑賞式庭園と開山伝承を具現する龍泉庭、そして中根金作氏作庭の石庭の3つの庭園があります。



撮影2025/6/24
 現存12天守の一つで百名城に選定されている丸岡城(36番)に行ってきました。
 マンホールには「一筆啓上申し上げます」の文字が刻まれています。
 駐車場に車を停めて階段を登りました。
 すぐに丸岡城に到着です。
 急な階段を這うようにして登りました。
 丸岡城は柴田勝家の甥の柴田勝豊が築城したのが始まりです。
 その後、城主が度々変わり、最後は有馬氏が丸岡藩主となり明治維新を迎えました。
 最上階からはのどかな田舎の風景が見えます。
 本田重次は徳川家康の家臣で長篠の戦いの最中に妻に宛てた「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」が日本一短い手紙として有名になりました。
 このお仙が本田成重で後の丸岡藩初代藩主になります。
 ということで一筆啓上日本一短い手紙の館に行ってきました。
 坂井市は、1993年に「一筆啓上賞」を創設し、以降、33年に渡り毎年、心のこもった日本一短い手紙を募集しています。
 館では過去の受賞作も展示されていました。
 これいいですね。同居人に読み聞かせたいです。
 館の展望台から丸岡城を見渡せました。ところが、電線と一筆啓上茶屋、丸岡歴史民俗資料館など江戸時代にはないものが邪魔で、期待した展望が全く得られません。
 続いて瀧谷寺へ行ってきました。
 瀧谷寺は、南北朝期創建の真言宗古刹であり、戦国大名から幕末の志士まで幅広い人々に信仰・支持された寺院です。国宝や重要文化財を有し、福井県最初の国指定名勝庭園を持つことから、宗教的・文化的に極めて重要な存在と言えるでしょう。
 3つの庭園がありますが、最初は弘法大師像の左を通って龍泉庭へ行きました。
 瀧谷寺の山号「摩尼宝山」は、摩尼宝珠が竜泉の池に落ちたという伝承に基づいており、龍泉庭は開山伝承で開祖・睿憲上人が修行中、摩尼の宝珠が竜泉の池のほとりに落ちたという伝承に基づいて造られた庭です。
 由緒正しい庭ですが、水が滞留し落ち葉が浮かんで汚そうな池が見えました。
 寺ではこの庭園については一切ふれていません。
 私にはこの石組が瀧谷を象徴する滝石組、
 中島はこちら側が二つの石を立てた羽石で鶴、反対側が亀だと思えたのですが、お寺の方からはどちらも完全否定されました。
 ではどのような庭園かお聞きしたところ、分からないとのことで、開山伝承にも通じる庭園なので、もう少し説明頂きたかったです。
 こちらにお寺のお宝が保管されており、国宝の金銅毛彫宝相華文磬が見学できました。狩野探幽筆の仏画などもあります。
 本堂前には石庭がありました。九つの石を心字に配し、観音菩薩の慈悲の心を表現しています。
 昭和の小堀遠州と称えられた中根金作氏の作庭ですが、パンフレットには記載されていません。
 開山堂は重要文化財に指定されています。
 同じく重要文化財に指定されている本堂から福井県初の国指定名勝庭園を見学しました。
 この庭園は江戸時代初期作庭で小堀遠州の弟子の作成との説が有力です。
 灯籠の右側には三尊石が見えました。
瀧谷寺庭園枯滝石組(タキダンジテイエンタキイワグミ) 落差3m 時間5m 評価1/10
 石段の右側には枯滝石組を見ることができます。
 本堂からは額縁庭園も見ることが出来ました。礼拝石の奥に枯滝石組がありますが、雑草だらけで滝石組が良く見れないのが残念です。
 滝の映像
 帰りは上部が鐘楼堂となっている鐘楼門を通りました。両脇に供待を付設しているのも特徴的な門です。
 鐘楼門からは木立の中を歩きましたが、鬱蒼とした木々が夏の暑さを遮り、爽やかな気持ちで寺を後にすることが出来ました。



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