滝寺不動滝(Takiderafudo taki)

新潟県上越市滝寺
 滝寺不動は、日本百名城・春日山城のすぐ近くにある静かな霊地である。



撮影2025/8/2
 百名城に選定されている春日山城(32番)を再訪した。
 2024年10月には山城部分を歩いたが、今回は麓に広がる総構を見て回ることにした。
 まずは「ものがたり館」で事前調査を行う。
 かつては堀と塀が連なり、城下を守る大規模な防御線が築かれていたようだ。
 その後、滝寺不動滝へ向かう。以前訪れたときは水が落ちていたが、今回は様子が違った。
滝寺不動滝(タキデラフドウタキ) 落差4m 評価2
 なんと、水がまったく流れていない。赤い岸壁だけが静かに立ち、滝の気配は影も形もなかった。
 季節や水量によって、これほど姿を変える滝も珍しい。
 滝の映像
 最後に、続百名城に選定されている高田城(132番)へ向かった。
 西堀の駐車場に車を停めて歩き始めると、赤い舞台のような施設が目に入る。用途は分からないが、妙に存在感がある。
 高田城は徳川家康の六男・松平忠輝の居城として、元和元年(1614年)に天下普請で築かれた。
 しかし忠輝は家康に嫌われ、元和2年(1616年)に改易。その後も城主は何度も交代し、延宝9年(1681年)の越後騒動で松平光長が改易されると、高田藩には負の印象が定着してしまった。
 以降は、稲葉正往、戸田忠真、松平定重、榊原政純など、不始末を犯した親藩・譜代大名の転封先となった。
 平成5年(1993年)に復元された三重櫓は石垣を持たず、遠目には普通の家のようにも見える。
 鳥観図を見ると、天守は造られず、三重櫓と本丸御殿が城の中心だったようだ。
 最上階からは緑豊かな街並みが広がり、城下町の穏やかな空気が感じられた。
 本丸跡には立派な石碑が立っている。
 2002年に復元された極楽橋を渡り帰路につく。
 帰り際にもう一度三重櫓を眺めると、石垣ではなく土塁で築かれた城であることがよく分かる。
 堀の噴水は涼しげではあるが、西洋庭園を思わせ、城の景観としてはやや違和感があった。



撮影2024/10/13
 滝寺不動は駐車場からすぐの場所にある。
 最初に現れる鳥居は妙に背が低く、バランスが悪い。どうやらブルドーザーで埋め立てられた結果らしい。
 その鳥居をくぐると、右側に歴史を感じさせる古い鳥居が現れ、その奥に滝が見えた。
 右手の石段を登ると不動堂がある。上杉謙信はお不動様と毘沙門天を深く信仰しており、近くには毘沙門堂もあるが、この日は日没が迫っていたため断念した。
滝寺不動滝(タキデラフドウタキ) 落差4m 評価2
 赤い岸壁が印象的で、壁面にはお不動様が安置されている。
 夕暮れの光に照らされ、どこか神秘的な雰囲気が漂っていた。
 滝の映像
 翌日、春日山城跡を登ることにしたが、まずは上越市埋蔵文化財センターで下調べをする。
 山城である春日山城だが、江戸時代には天守も備えた立派な城だったという。
 現在はほとんどの建物が撤去され、静かな山の中に遺構だけが残る。
 春日山神社への石段を登ると、立派なお社が迎えてくれた。
 最近は神社を訪れるたび、頚髄損傷の痛みが少しでも和らぐよう祈願している。
 右回りで山を登ると、直江氏の邸宅跡が現れる。直江兼続といえば「愛」の兜で知られる武将だ。
 さらに進むと毘沙門堂があり、
 謙信が「毘」の旗を掲げて戦ったという逸話が思い起こされる。
 山頂近くからは上越市が一望できた。右端の尖った山は米山、左の海岸沿いに見える白いプラントは火力発電所だ。
 駐車場から20分ほどで春日山城址に到着。
 左手の丘陵には天守址も残っている。
 帰りは二の丸経由とした。
 こちらは三の丸。
 道路へ出る。
 春日山神社近くに立つ謙信公の像が凛々しく佇んでいた。戦国名将の気迫が、今もなお山に宿っているようだった。



日本の滝(ホーム) 日本の滝一覧 日本の滝百選 自薦百選の滝 訪問履歴

滝の評価はあくまでも私個人の主観にもとづくものです。又、評価は気象条件等によっても変わることをご承知おき下さい。
このホームページについての御意見・御感想は、GAF03402@nifty.com までお寄せ下さい。
本ホームページの著作権は、S.KOBAYASHI に帰属しております。
本ホームページの内容の一部、または全部を無断で複製、変更することは法律で禁じられております。