八代城跡公園枯滝石組 (Yatushirojyokoen karetakiiwagumi)

熊本県八代市松江城町7
 続百名城に選ばれている八代城(190番)は、加藤清正の次男で第2代藩主・加藤忠広が1622年に完成させた城である。



撮影2025/10/13
 一国一城令の中で例外的に存続を許された城として知られ、
 加藤家改易の後は細川忠興の隠居城となり、その後は松井氏の居城として明治維新を迎えた。
 虎口を抜け、本丸へと足を踏み入れる。
八代城跡公園枯滝石組(ヤツシロジョウコウエンカレタキイワグミ) 落差1m 時間5分 評価1
 城内の一角に、思いがけず滝石組が姿を見せた。枯山水としての構成は控えめだが、石組そのものは堂々としている。
 滝の映像
 本丸には八代宮が鎮座していた。明治維新後、南朝の功績を顕彰する神社創建運動の中で建立され、懐良親王を祀っている。
 天守台の方へ向かうと、城内の雰囲気とはやや異なる公園管理事務所が建っており、思わず足を止めた。他の史跡では城内の雰囲気を壊さないように設置するものだが、ここではあまり関心がないようだ。
 かつて加藤忠広は、4層5階の大天守と2層3階の小天守を渡櫓でつなぐ豪壮な天守を築いたという。
 細川忠興が「八代に過ぎたるものが二つある 天守の屋根に乞食の松」と詠んだ狂歌は、その華美さを皮肉ったものだろう。
 豪華な天守は江戸時代初期の落雷で焼失し、再建されることはなかった。
 案内板を眺めながら、もう少し整備が進めば、往時の姿をより感じられるのではないかと思う。
 乞食の松が生えていた場所に立つと、当時の景観を想像せずにはいられない。
 城内に入った時から気になっていたが、あろうことか天守台に電柱が立っていた。
 多くの城郭では景観保全のため無電柱化が進む中、ここだけは時代の流れから取り残されたようにも見える。
 八代亜紀さんの顕彰碑があった。八代の町は独自の歴史と文化を抱えながら、現代の暮らしと折り重なるように存在している。その中で、歌手として全国に名を馳せた八代亜紀さんの存在は、今もこの地の誇りとして息づいているのだろう。



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