一乗谷城の滝(Ichijyodanijyo no taki)

福井県福井市城戸ノ内町
 百名城に選定されている一乗谷城(37番)からは4つの日本庭園が発掘されています。



撮影2025/6/23
 一乗谷城へ行ってきました。
 最初は諏訪館跡庭園に向かいます。
 朝倉義景の妻である小少将が居住した館で一乗谷で最も規模が大きな庭園でした。
諏訪館跡庭園滝石組(スワヤカタアトテイエンタキイワグミ) 落差2m 時間5m 評価2/10
 滝の右側には4メートルを越える立石が滝を表現する豪壮なデザインです。
 上段にも庭がありました。
 続いて湯殿跡底辺へ向かいます。
 縦長の石が多く使われた豪壮で力強い印象が感じられました。
 こちらの石は3つ並びますが、真ん中の石が高いことから三尊石と思われます。
 こちらは蓬莱石でしょうか。
 こちらの石組は亀島と思われます。
湯殿跡庭園滝石組(ユドノアトテイエンタキイワグミ) 落差1m 時間25m 評価2/10
 亀島があれば鶴島ですが、亀島の隣に二つの石が並んでました。こちらは鶴が羽を伸ばしたところを表現した鶴島と思われます。羽の間からは滝石組も見えました。
 湯殿跡庭園から一旦、麓の方に向かうとアクリル板で保護された朝倉館跡が一望出来ます。
 斜面を利用した池泉庭園が造られていました。
 手前に長く伸びた石が独特です。
朝倉館跡庭園滝石組(アサクラヤカタアトテイエンタキイワグミ) 落差1m 時間40m 評価1/10
 階段のようになった水路状の滝が造られていました。
 南陽寺跡庭園へは民家の間を抜けるようにして再び山を登ります。
 しばらくすると南陽寺址と彫られた石碑がありました。
 広々としておりかなり大きな寺院だったようです。
 南陽寺は朝倉氏の子女が入る禅宗の尼寺で戦国時代にはかなりの豪華さを誇っていました。
 1568年、朝倉義景は足利義昭をもてなすために庭前の糸桜の下で観桜宴を開いたと伝わります。
 ただ朝倉義景は歓待するにとどまり上洛はしません。そして、この年、織田信長は第15第将軍となる足利義昭を擁して上洛することになるのです。
南陽寺跡庭園滝石組(ナンヨウジアトテイエンタキイワグミ) 落差1m 時間55m 評価1/10
 最も高い立石が滝の介添え石でしょうか。枯滝は立石の左側を流れていました。
 滝の映像
 折角ですので、復元街並みを見学することにします。
 武家、町屋が整然と並んでいました。
 女性や子供に受けるのでしょうが、折角の歴史的景観が台無しです。
 私は囲碁四段ですが、将棋はからっきし、やっぱり将棋の方が一般受けするのかもしれません。
 折角なら、掛川城(王座戦)福知山城(竜王戦)姫路城(電王戦)のように将棋棋戦を誘致したらいいのに・・・。
 一乗谷朝倉氏遺跡博物館にも行ってきました。
 朝倉館の模型があり、庭園も再現されています。
 京都の公家や同盟者などを接待する場所でもありました。
 原寸大で再現されていますが、空の部分が木製の為、いまいち没入できません。いっそのこと横浜ラーメン博物館のように空色に塗れば良かったのに・・・。



日本の滝(ホーム) 日本の滝一覧 日本の滝百選 自薦百選の滝 訪問履歴

滝の評価はあくまでも私個人の主観にもとづくものです。又、評価は気象条件等によっても変わることをご承知おき下さい。
このホームページについての御意見・御感想は、GAF03402@nifty.com までお寄せ下さい。
本ホームページの著作権は、S.KOBAYASHI に帰属しております。
本ホームページの内容の一部、または全部を無断で複製、変更することは法律で禁じられております。