名古屋城の滝(Nagoyajyo no taki)


愛知県名古屋市中区
 百名城に選定されている名古屋城(44番)の周辺には、三の丸庭園と二の丸庭園という歴史ある日本庭園が点在している。
 城下の喧騒から一歩離れるだけで、時代の層が静かに重なる空間が広がる。



撮影2025/5/3
 百名城スタンプを求めて名古屋城を訪れたところ、能楽堂の前に思いがけず滝がかかっており、思わず足を止めた。
名古屋城能楽堂前の滝 (ナゴヤジョウノウガクドウマエノタキ) 落差3m 評価2
 石垣の隙間から水がしみ出し、小さな湧水の滝のように流れ落ちている。
 人工の造形でありながら、どこか自然の息遣いを感じさせる不思議な存在感があった。
 それにしても、石垣から滝を生み出すという発想は誰のものなのだろう。よほどの滝好きが関わったに違いないと、つい想像してしまう。
 滝の映像
 能楽堂の隣には、2022年3月にオープンした和食処「蓬左」が佇んでいた。次に訪れる際には、ぜひ立ち寄ってみたい。



撮影2022/1/15
 三の丸公園は名古屋城から少し離れ、名古屋国税庁の真正面に位置している。かつて仕事で名古屋国税庁を訪れたことがあったが、こんな場所に庭園が潜んでいたとは気づかなかった。
 名古屋市公館の前に三の丸庭園の石碑が立つ。かつては陸軍将校クラブ・皆行社(現名古屋市公館)の前庭として造られたと考えられていたが、近年では桃山時代の作庭ではないかとも言われている。もしそうであれば、二の丸庭園よりも古いことになる。
 門をくぐるとすぐに庭園が広がっていた。
 どこか素朴で、少し殺風景にも映る。
 大きな船石が据えられ、往時の姿を想像させた。
三の丸庭園の滝 (サンノマルテイエンノタキ) 落差5m 評価2
 庭園の最奥に滝石組がある。
 水落石はひときわ存在感を放ち、まるで水が今にも流れ落ちているかのような造形が印象的だった。
 落ち葉が積もり忘れ去られた存在だが、磨けば光るだろう。
 その後、名古屋城へ向かう。
 天守は閉鎖中だったが、二の丸庭園や二の丸御殿は見学することができた。
 まずは二の丸東庭園へ。
 徳川斉朝の時代、二の丸の北部から東部中央にかけて広大な回遊式庭園が整えられた。しかし明治以降は陸軍の管轄となり、二の丸御殿は破却、東部の庭園は練兵場や兵舎に姿を変え、庭園は消滅した。
 1978年に再整備され、現在の二の丸庭園として開園している。
 北御庭は、2022年3月25日まで修復整備が行われており、訪れた際には工事の足場が残っていた。
二の丸庭園北お庭枯滝石組 (ニノマルテイエンキタオニワカレタキイワグミ) 落差5m 評価2
 滝石組は実に豪壮で、深山渓谷を再現しようとした意図が伝わってくる。様式は玉澗流と呼ばれ、南宋末〜元初の画家・玉澗の山水画をモチーフとしたもの。
 背後に二つの大きな築山を配し、その間から滝を落とし、さらにその上に高く石橋を架けるという構成が特徴だ。
 徳川御三家の庭園らしく、立体感と迫力は他の庭園とは一線を画していた。
 最後に前庭へ向かう。こちらにも枯滝石組が設けられている。
二の丸庭園前庭枯滝石組 (ニノマルテイエンゼンテイカレタキイワグミ) 落差5m 評価2
 水落石は水を模した造形が巧みで、まるで本当に流れ落ちているかのような躍動感があった。
 名古屋城は今後、解体のうえ木造で再建される予定だという。確かにコンクリートの天守はどこか味気ない。できることなら江戸城も木造で甦ってほしいと、ふと夢想してしまう。
 最後に二の丸御殿を巡る。
 表書院は藩主への正式な謁見に用いられた最も格式高い部屋。
 対面所は藩主が身内や家臣と私的に対面し、宴席を設けた空間。
 そして上洛殿は、徳川家光の上洛に合わせて急遽増築された、二の丸御殿でも最も絢爛豪華な部屋である。
 狩野探幽による「帝鑑図」や「雪中梅竹鳥図」などの障壁画は名品として知られ、欄間の豪華さもまた目を奪うものだった。歴史の息遣いがそのまま残る空間に身を置き、しばし時を忘れて見入ってしまった。



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